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川上音二郎について
川上音二郎 略年譜
文久4
(1886)
1月1日、博多中対馬小路の藍問屋・川上専蔵の長男として出生。

明治10
(1877)
14歳、家を飛び出す。東京に出て増上寺の小僧。福沢諭吉に見出され、慶応義塾の学僕となる。裁判所給仕。こうもり傘の修繕をしながら、東海道を京都へ。京都府巡査。のちに自由民権の演説使いの壮士となる。

明治20
(1887)
12月。保安条例公布。自由民権運動大弾圧。壮士は飯が食えなくなる。音二郎、京都・阪井座の中村駒之助一座に入り、八犬伝・芳流閣の場で御注進の役。大阪の落語家・桂文之助に入門、「浮世亭○○(まるまる)」と名乗り、「オッペケペ」を始める。

明治23
(1890)
音二郎、「書生仁和加」 を組織して、巡業を始める。

明治24
(1891)
2月5日、堺の卯の日座で、「川上書生芝居」の旗揚げ。「板垣君遭難実記」 好評。6月20日、浅草鳥越の中村座で公演。初の東京進出は好評、大成功。ついで猿楽町の市村座に出演。神風連の実録「ダンナハイケナイ」好評。

明治25
(1892)
福地桜痴の「平野次郎」上演。

明治26
(1893)
1月、鳥越座(中村座が改称)出演中の音二郎、突然蒸発。奴と結婚する。
(奴は、本名・小熊さだ、明治5年(1872)日本橋の生まれ)

明治27
(1894)
日清戦争始まる。川上一座の「壮絶快絶日清戦争」大当たり。音二郎は現地視察で朝鮮に出かけ、「川上音二郎戦地見聞日記」を上演(12月、市村座)。川上一座の人気沸騰。

明治28
(1895)
5月、日清戦争実記「威海衛陥落」で、念願の歌舞伎座の舞台を踏む。

明治29
(1896)
6月、神田三崎町に、自前の劇場「川上座」を建てる。まもなく経営不振で人手に渡る。

明治31
(1898)
3月、衆議院議員に立候補。落選。

明治32
(1899)
4月、アメリカ巡業へ。

明治33
(1900)
2月から4月まで、ニューヨーク公演。好評。
6月、ロンドン公演。
7月、パリ万国博公演。
11月、フランス政府からアカデミー勲章を授与される。

明治34
(1901)
1月、神戸に帰着。
4月、再び渡欧。スペインからロシアまで14カ国を回る。

明治35
(1902)
露都ぺテルブルグで、ニコライ二世からダイヤモンド入りの金時計下賜。
8月、神戸に帰着。

明治36
(1903)
このころから翻訳劇、児童劇を手がける。

明治44
(1911)
10月、帝国座開場。
11月10日夜、帝国座の舞台に運ばれ、翌11日朝6時死去。48歳。
旅が好きで汽車を愛した音二郎は、汽車が眺められるところに眠りたいということで、博多「承天寺(じょうてんじ)」(移転前の博多駅は承天寺のすぐ裏手にあった。)に眠る。

川上音二郎墓所:承天寺

勅使門

承天寺

川上音二郎墓所

正式には、「萬松山 勅賜承天禅寺」といいます。
承天寺は、四條天皇仁治3年(1242)の創立にして、開山は日本で始めて国師号を与えられた聖一国師円爾であり、開基檀越は冷泉津綱首謝国明、太宰少弐武藤資頼が土地を寄進しました。後嵯峨院寛元元年(1243)宣旨により、太宰府の崇福寺と共に累代不易の勅願所官寺に列せられ、さらに後円融帝康暦2年(1380)、勅命により五山十刹の寺格となりました。
国師は、後に藤原道家の招に応じて上洛し、建長7年(1255)東福寺に開堂、宗旨を宣揚するこ38年、この間歴朝四帝の問法を得、応長元年(1311)には花園天皇より聖一国師の徽号を賜っています。国師の博多滞在はわずか2年足らずでありましたが、弘安3年6月の東福寺規範には、「承天寺者我法房也」として格別の意を示しています。爾来、承天寺は、臨済宗東福寺派の法源、西海の巨刹として栄え、盛時には塔頭四十三寺を有したと伝えられています。先の大戦で、不幸にも山門・勅使門・塔頭2寺を焼失し、戦後の都市計画により境内の著しい縮小を余儀なくされましたが、平成3年(2001)の承天寺開創750年を機に、仏殿・山門・勅使門等伽藍を復興整備しました。


博多山笠発祥の地

博多山笠発祥

仁治2年(1241)、博多に疫病流行。時に国師、施餓鬼棚に乗り、棒で担がせ、祈祷して歩き、病魔退散させる、を起源とします。山門と勅使門の間に、碑があります。

 


饂飩蕎麦発祥の地
饂飩蕎麦発祥 聖一国師が、饂飩・蕎麦・羊羹・饅頭の製法を初めて日本に伝えると言われ、通用門脇に、碑があります。

川上音二郎生誕の碑:沖濱稲荷神社

川上音二郎生誕の碑

音二郎の生家に程近いところに沖濱稲荷神社があり、そこに「生誕の碑」があります。生誕の碑周囲には新派の方々(花柳章太郎・水谷八重子・二代目水谷八重子・波乃久里子等)が植樹されています。
沖濱稲荷神社

 


川上音二郎銅像

川上音二郎銅像

川端通り商店街の入口に、「オッペケペ」の衣装を纏った音二郎の像があります。ちょうど「博多座」を見守る位置に設置されています。


川上音二郎 博多人形

川上音二郎 博多人形

博多人形の名人形師である、故小島與一氏作による「オッペケペ」を演舞する川上音二郎の博多人形です。川上家所蔵です。


川上音二郎錦絵

川上音二郎錦絵

川上家所蔵です。複数枚ある中の一点を額装したものです。


川上音二郎・貞奴肖像画
川上音二郎 川上貞奴

川上家所蔵です。両者とも年齢は定かではありませんが、役者として油が乗っている頃と思われます。音二郎は、キリッとしてなかなかの男前、今の言葉で言う「イケメン」っぽくはないですか?貞奴は、当代随一の芸妃といわれただけあって、清楚可憐な美人だと思います。現代人の美人とは少々違うかとは思いますが、相当な争奪戦の結果、見事音二郎が貞奴をGETしたと言われています。



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